今回は小説『噂』荻原 浩(著)のご紹介!
偽りのストーリーを口コミによる噂で広めようとした。するとその偽りのストーリーと同じことが現実に起こる。何とも奇妙な出来事ですよね。噂を広めた当事者からすると、何とも気持ちの悪い現象。しかもそれがとても現実では起こりそうもない凶悪犯罪だったとしたら。。。。
書籍の情報を以下にまとめます▼
INFO
タイトル:『噂』
著者:荻原 浩
出版社:株式会社 新潮社
発売日:2006年3月
メモ:偽りの噂が現実に
あらすじ
「レインマンが出没して、女のコの足首を切っちゃうんだ。でもね、ミリエルをつけてると狙われないんだって」。香水の新ブランドを売り出すため、渋谷でモニターの女子高生がスカウトされた。口コミを利用し、噂を広めるのが狙いだった。販売戦略どおり、噂は都市伝説化し、香水は大ヒットするが、やがて噂は現実となり、足首のない少女の遺体が発見された。衝撃の結末を迎えるサイコ・サスペンス。
『噂』裏表紙より
読書感想
妄想を現実化してはダメ
人間は自分の頭の中で具体的に想像できることしか実際の行動に移すことができない。将来の夢や目標も、ただ漠然と「あの人みたいになりたい」と考えるだけでは実現が難しい。自らの力で具体的に描き、行動のイメージを明確にすることが目標達成への近道となる。頭の中で考えることの一つに「妄想」があるが、妄想には人間の深層心理が反映されていることが多い。自分でも気づかない内なる欲望や心理が、無意識に妄想の形で現れるからである。
しかし、その妄想を現実の行動に移そうとすることには危険が伴う。妄想には感情的なブレーキがかからないため、実際に行動に移してしまった際、自分でもその状況をどう処理するべきか判断がつかなくなる。これは理性を超えた、動物的な嗜好に近いものとも言える。人間は進化の過程で理性を持つようになったが、未だ本能を完全に制御できるほどの能力は備わっていない。だからこそ、妄想と現実の境界を慎重に保つことが必要である。
平等を意識した末路
偏差値の低い学校では落ちこぼれは生まれない。なぜなら、落ちこぼれとは「落ちてこぼれる」存在を指し、少数派であるからだ。多くの人ができる中で一部の人だけができない時、その一部が落ちこぼれとされる。これは、進学校のように高いレベルを目指す環境で特に顕著に表れる現象である。一方、社会は落ちこぼれを減らすことが平等であると考えるが、これは逆に社会のレベルを低下させる危険をはらんでいる。
落ちこぼれをなくそうとすることは、できない人に基準を合わせることを意味する。例えば、逆上がりができる人がいたとしても、できない人ができるようになるまで全体の進歩が止まってしまう。同じように、進歩するチャンスを奪われた人たちは、より高度な技や知識に挑戦する機会を失う。平等を意識し、全員が同じレベルである社会を目指したとしても、その中でも新たな落ちこぼれが必ず生まれる。これにより、全体のレベルが徐々に低下する悪循環が起こり得るのだ。
できない人に配慮することは重要であるが、それが多数派の可能性を潰すことになってはいけない。平等を追求しすぎると、社会全体が停滞し、結果として新たな落ちこぼれを生む可能性がある。
二度と同じ過ちを犯したくなければ
人は生きていれば誰しも過ちを犯すものだ。その過ちによって他人に迷惑をかけたり、大きな問題を引き起こしてしまうことも少なくない。多くの場合、過ちを犯した直後は深い反省の念に駆られ、「二度と同じミスはしない」と心に誓う。しかし現実はそう甘くはなく、忘れた頃にまた同じ過ちを繰り返してしまう。私たちは常に気を張って生活することができないため、反省をしたつもりでも、その緊張感が薄れた時に再び同じミスを犯してしまうのである。
では、どうすれば同じ過ちを繰り返さずに生きていけるのだろうか。その鍵は「反省をいつ行うか」にある。過ちを犯した直後は、心が動揺しているため、冷静に状況を判断することが難しい。トランス状態に陥っているため、「とにかく反省しなければ」という焦りが先立ち、原因を深く分析する余裕がないのだ。その結果、数日間の反省に満足し、根本的な改善がなされず、同じ過ちを繰り返すことになる。
そのため、効果的な反省は、過ちを犯してから数日経ってから行うべきである。時間を置くことで冷静さを取り戻し、感情に流されることなく、原因を客観的に分析できるようになる。すると、自分を過剰に責めることなく、必要な反省だけを行うことができるのだ。こうした冷静な振り返りが、同じ過ちを防ぐための確かなステップとなる。
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