【独自感想】『解』堂場 瞬一

小説

今回は小説『解』堂場 瞬一(著)のご紹介!
大学時代、親友同士だった二人は共に小説家と政治家になる夢を語り合った。二人は努力を重ね夢の実現へと歩みを進める。そんな中、ある殺人事件が発生する。

自分の大学時代を振り返ってみると、他人に自分の夢を語ることに恥ずかしさを感じていたなと思います。ただ、将来の夢に対してポジティブな考え方を持っている人がそばにいたら、私の考え方も変わっていたかもしれません。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『解』
著者:堂場 瞬一
出版社:株式会社 集英社
発売日:2015年8月
メモ:夢を追うストーリーと殺人事件が織りなす結末とは?

あらすじ

バブル経済絶頂期、大学生の大江波流と鷹西仁は、政治家と小説家になる夢を語り合う親友同士。代議士の息子の大江は、大蔵省へ入省。鷹西は、社会勉強と文章修行のため新聞記者になった。目標実現のためにキャリアを積む二人だったが、大江の父親が急逝したことで忌まわしい殺人事件が・・・・・・。めまぐるしく転変する彼らの人生を辿りながら、”平成”という時代を抉り出す骨太の長編社会はミステリー。

『解』裏表紙より

読書感想

事実によって感情が決まる世界

私たち人間には感情がある。感情があることによって楽しさであったり、うれしさを実感することができる。しかし、感情があることによって悩まされることもある。感情は時に事実を上回ってしまうのだ。

相手の顔を伺いながら行動をとってしまうのが例である。相手が思ってもいないことを想像し、落ち込んだり悲しんだりしてしまう。事実を覆い隠すように自分の感情が乗っかってしまうのだ。かといってわざわざ事実確認をすることも避けられる。無理に悲しむ結果を求めることもない。

事実によって人間の感情が決まるのだとしたら、この世の中はどうなっていくのだろう。常に人間は受け身の体制となり、起こったことに対する感情を表に出すだけだ。次第にそれはテンプレート化していき、事実から相手の感情も読み取ることができる。

悲しんでいるのか、起こっているのか、楽しんでいるのか。それらの感情は相手の言動を見なくても事実を知るだけでわかってしまう。つまりは何をされたら相手が嫌がるのか、嬉しがるのかも理解ができる。相手の立場に立って物事を考えることが重要とされている世の中にとってはいい傾向にあるのかもしれない。

前ばかり向こうとするから過去を振り返りたくなる

程度が失われつつある。一つのことに打ち込んで日々の生活を真っ当に生きる人が正義であり、憧れの対象にもなっている。そんな世の中は生きづらさを与える。Aの方法とBの方法があった時、どっちを選択するかで人生が大きく変わってしまう。だから私たちは選択する時間に多くの手間をかける。

別にAでもBでもいいのではないか。AのいいところとBのいいところ、どっちも選択するではダメなのか。いい感じにやっていきましょう感が失われている。準備を万全に行なった結果、最初の一歩は考えられないくらい重たいものとなる。記念すべき一歩になるのだから。

そんなことなんて気にせず、ぴょーーんっと踏み出してみる。実際にやってみて困ったことがあったらその時に考えてみよう。一歩目の身軽さは比べるまでもない。一歩目が身軽ということは、二歩目も身軽ということだ。

道草を喰うくらいの気持ちのほうが目的地に楽しみながら迎えるはずだ。旅番組ではこれでもかと道草を喰う。しかし、必ず目的地は用意されてあってその地でエンディングを迎える。私の人生もそうありたい。

デジタルをデトックスし始めた人々

デジタルデトックスという言葉がある。10年前にはこんな言葉はなかったはずだ。デジタルデトックスをすることによって、身体的なケア(目の疲れを癒すなど)ができる。しかし、デジタルデトックスの本丸は、情報を遮断することにある。

人口は衰退の一途を辿っているが、情報は膨れ上がる一方だ。人々の「つぶやき」は本来、自分にしか聞こえない程度のボリュームだったはずだ。しかし、SNSという基盤に乗っかったことによって、「つぶやき」のボリュームは高まり続ける。

確かに本来の「つぶやき」はなんの根拠も持たない言葉に過ぎなかった。それは独り言の域を超えないものとして成立していたものである。つまり、たとえ誰かの「つぶやき」が聞こえたとしてもその情報に踊らされることはなかったはずだ。

「失敗をしても死ぬわけではないから頑張ろう」という考え方と、「人間いつか死ぬから今頑張ろう」という考え方は、正反対のアプローチをかけている。どっちが正解でどっちが不正解というわけではない。しかし、情報が膨れ上がる世界では、一方の考え方を過剰に正当化する意見が存在する。

「失敗をしても死ぬわけではないから頑張ろう」という考え方に踊らされた人間にとって、「人間いつか死ぬから今頑張ろう」という考え方は不正解に感じてしまうのだ。正解、不正解というはっきりとした考え方しか持てない人は、物事を柔軟に考えられなくなってしまう。

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