『別れる力 大人の流儀3』 伊集院静

エッセイ

今回ご紹介する書籍は、伊集院静著『別れる力 大人の流儀3』です。
『別れる力 大人の流儀3』は、2012年12月に講談社より出版されました。

前年の2011年には東日本大震災があり、著者の伊集院静さんは仙台で被災しました。
日本全国に影響を及ぼした大地震によって様々な形の別れを経験した人も多いことでしょう。

被災を経験した伊集院静さんだからこそ語ることができる「別れ」について。
言葉ひとつ一つが心に染み渡っていきます。

読書感想

人は誰もが「別れ」を経験する

人は誰もが「別れ」を経験する。
その別れがいつくるかはわからないが、皆平等に経験すると考えると気持ちが楽になる。

ただ、大人になってからの別れには辛さが伴う。
それは一時的な別れではなく、一生にかけての別れである可能性が高いからだ。
「じゃあ、またね」これが通じないのである。

別れは誰もが通る道なのだから自分一人だけが悲しみの主人公ではないことを理解する。

悲しみの共有は難しい

先日、実家の母から連絡があり長年共に時間を過ごした愛猫が亡くなったようだ。
全身に癌が転移し、獣医からもそう長くはないと言われていたため覚悟はしていた。

それでも愛猫との別れは悲しい。
私にとってこの気持ちは当たり前のことであって、想像もしていた。
ただ、他人から見たらどっかの誰かさんの猫が死んだだけなのだ。

当然私と同じように悲しむことは不可能だし、悲しみの共有もできない。
わかってもらえないもどかしさに悲観するくらいなら、じっと一人で耐えたほうがいい。

しかし、いい猫であった。
私が16歳の時、実家(田舎である)の外の物置で近所の猫が出産したことがことの始まりだった。

ほぼ放し飼いの状態だったのだが、必ず家には帰ってきていた。
私たち家族の知らないところでは、近所のご自宅にだいぶ上がり込んでいたみたいだが。
愛猫の病気のことを知った老夫婦は涙を流してくれたりもした。

こんなにも人に好かれ、人を好む猫は存在するのだろうか?

わかっている。
そんな猫は五万といる。
これが俗にいう、「飼い主バカ」というやつだ。

だからやっぱり、悲しみの共有は難しい。

別れにドライなやつほど寂しがり屋

別れについて想像してみるとこんなシーンを思い浮かべる。

  • 送別会
  • 空港でのお見送り
  • 卒業式

別れる張本人が主役であるならば、見送る側は別れの場面を演出する役目を成す。
仲のいい友人や大切な人との別れの際は、誰もが盛大に見送りたい物なのか?
盛大に見送ってあげたいと思えない人は冷たい人間なのか?

どちらかというと私は、後者の人間である。

当然他人からは冷たい人間だと思われているだろう。
しかし私にはどうしても耐えられないことがある。
それは、盛大に見送った後に訪れる孤独の時間だ。

そのギャップに耐えられない私は端から孤独を好む。

普段から孤独に生きていくことで、別れの便りも風のようにフワッとサラッと通り過ぎていく。

まとめ


今回は、伊集院静著『別れる力 大人の流儀3』の読書感想をご紹介しました。
別れは誰にでも訪れることです。
しかし、いつ、どのタイミングでその瞬間が訪れるかは誰にもわかりません。

いざ別れと鉢合わせた時、自分の本性が顔を出してくるように思えます。
一人の大人として上手に別れと付き合って、前を向いていきたいものです。

そうすれば、別れも人生を彩るひとつのピースとなり得ることでしょう。

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