今回はノンフィクション作品である、『ある行旅死亡人の物語』武田 惇志(著)/伊藤 亜衣(著)のご紹介!
久しぶりのノンフィクション作品。この作品はとあるYouTube動画で紹介されていたもので、私には珍しくこの本を求めて書店へ向かいました。
「行旅死亡人」とは日本において、引き取り手のいない死者を指すもので、死者の個人情報が不明な状態ということです。
本作品はタイトルにもある通り、ある行旅死亡人の身元を追ったルポ作品となっています。著者本人が体験をしたことをもとに作られています。
書籍の情報を以下にまとめます▼
INFO
タイトル:『ある行旅死亡人の物語』
著者:武田 惇志/伊藤 亜衣
出版社:毎日新聞出版
発売日:2022年11月
メモ:一人の女性の孤独死から全ては始まる
書籍情報
2020年4月。兵庫県尼崎市のとあるアパートで、女性が孤独死ーーーーー現金3400万円、星形マークのペンダント、数十枚の写真、珍しい姓を刻んだ印鑑・・・・・。記者二人が、残されたわずかな手がかりをもとに、警察も探偵も解明できなかった身元調査に乗り出す。舞台は尼崎から広島へ。たどり着いた地で記者たちが見つけた「チヅコさん」の真実とは?「行旅死亡人」が本当の名前と半生を取り戻すまでを描いた圧倒的ノンフィクション。
『行旅死亡人』裏表紙より
読書感想
人はなぜ思い出話が好きなのか?
自分の過去を振り返ることは、多くの人が経験するものである。子供の頃の記憶を呼び覚まし、辛い経験や楽しい出来事を思い出すことは、今の自分を形成する大切な一部となっている。しかし、過去を振り返ることは単なる思い出話にとどまることが多い。では、その範囲をさらに広げ、家系図まで遡る人はどれくらいいるだろうか。
家系図を見るという行為は、過去を振り返るという行動を超え、自分のルーツを知ることにつながる。特に、実家で家業を営んでいる人にとっては、家系図を見ることで家業の成り立ちや変革の歴史を知ることができ、それは単なる昔話ではなく、自らの背景を理解する手がかりとなる。これにより、自分の性格や価値観がどのような系譜から形成されたのか、新たな側面を発見することができる。
家系図を通して自分のルーツを知ることは、心理的にも勇気や希望を与えてくれる可能性がある。自分がどこから来たのか、どのような歴史を背負っているのかを知ることは、未来に向かって進む力になる。だからこそ、人はあえて過去を振り返り、家系図のようなツールを通じて自分の背景を理解しようとするのかもしれない。
懐かしさを感じられる場所
久しぶりに故郷へ帰ると、些細な変化に敏感になるものだ。それは「新しいお店ができた」「駅が整備された」といった大きな変化ではなく、「実家の時計が変わった」「近所の〇〇さんが車を新しくした」といった、時が経てば当然変わるであろう小さな変化である。これほどまでに細部が気になるのは、故郷での思い出が繊細であり、細部にまで記憶に刻まれているからだ。
都会での生活では、こうした小さな変化に気づくことは少ない。日々、大きな変化が目まぐるしく起こっているため、小さな変化が相対的に見逃されるからである。しかし、故郷に帰った際の懐かしさは、故郷が大きく変わらず、小さな変化にとどまっているからこそ感じられるものだ。故郷の時間はゆっくりと流れ、過去の記憶が残り香のように今も漂っているのである。
しかし、最近では故郷にも大きな変化が訪れている。リモートワークや地方移住の影響で、交通の便を向上させるために道路が拡張され、商業施設も増えてきた。子供の頃に見た山々には道路が走り、故郷に漂う過去の記憶は、車のエンジン音にかき消されつつあるのだ。故郷の変化は避けられないものだが、そこにある懐かしさや温もりが失われないことを願いたい。
死者の人生を追うということ
行旅死亡人とは、もともと旅先で命を落とし、身元がわからない人を指す言葉である。定住地以外で亡くなったため、誰にもその人の身元が分からず、記録されることになる。旅先で命を落とすことは、旅行という楽しいイベント中の不幸な出来事という印象が強く、非常に気の毒に感じられるが、一方で旅に出られる生活を送っていた人とも言えるだろう。しかし、現実の行旅死亡人には、定住地で亡くなりながらも身元が分からない人が少なからずいる。彼らの背景には、旅の楽しさではなく、「孤独」や「苦痛」といった負の側面が隠れている場合が多い。
「人間は二度死を迎える」という表現がある。1度目は肉体的に命を失った時、そして2度目は人々の記憶から完全に忘れ去られた時である。私たちが亡くなった大切な人々を記憶に留めておくことは、彼らとのつながりを保つための行為でもある。たとえその人たちと直接会うことはできなくても、記憶の中に存在し続ける限り、私たちは精神的な安心感を得ることができるのだ。
行旅死亡人のように、孤独の中で亡くなり、記憶されることのない死がある一方で、私たちは身近な人を忘れないために努力し、その記憶を絶やさないことで、亡くなった人たちとのつながりを守ることができる。それは、彼らが永遠に存在し続けることを意味するのかもしれない。
コメント