『暇と退屈の倫理学』國分 功一郎

ノンフィクション

今回は哲学書『暇と退屈の倫理学』國分 功一郎著のご紹介。

哲学書と聞くとなんだか難しい内容かと思ってしまうが、確かに難しい。
私自身、なぜ書店でこの本を手に取ったのかというと、「暇」だとか「退屈」といった現象はこれからの人生において、切っても切れないものであると考えたからだ。

1日の中で何回暇と感じる瞬間があるだろうか?
意識していないだけでそう感じていることだと思う。
しかし、暇であるにも関わらず、暇について考えたことはなかった。

この辺で一度、暇について考えてみようと思いこの本を手にした。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『暇と退屈の倫理学』
著者:國分 功一郎
出版社:新潮文庫
発売日:2022年1月1日発行
メモ:暇や退屈に関しては多くの哲学者が語っている

書籍情報

「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろう。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッカーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろうーーーーーーー現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。

『暇と退屈の倫理学』裏表紙より

読書感想

暇を持て余すのではなく、暇を弄ぶ

暇なとき、人間の手は止まっていることが多い。
目的がないとき、作業に差し迫っていないとき人は暇になる。

暇な時は時間が経つのが異常に遅く感じる。
自然と時計を見る回数が増え、その進み具合にがっかりする。
そんなとき人は暇を持て余すのである。

余った時間を有効に使えないとストレスを感じる。
こういった感情はなぜ湧き起こってくるのだろうか?
別に時間を有効に使う必要もないし、有益なことをする必要もないはずである。

時間に余裕があるということは、物事が予定より早く片付いているのかもしれない。
本来なら喜ばしい状況である。
しかし人は暇な時間を過ごすことが苦手な生き物である。

暇を持て余すのではなく、暇を弄ぶ。
まずは、暇な状況を受け入れるところからスタートする。
そして私は暇だぞ!ということを周囲にアピールする。

続けてみると、不思議なことに周りから羨ましがられる。
そんな人間になりたくないか?

ブラック企業は理(利)に合わない

ブラック企業と聞くと真っ先に思い浮かぶのは、社員の労働時間の多さである。
残業は当たり前。
月に100時間を超える残業はもはや残業ではなく、メインである。

会社という立場で考えたとき、社員に多くの時間働かせる心理はどこにあるのか?
生産性か?作業量の増加か?はたまた、作業量と社員数のバランスが悪いのか?
いずれにしてもそんな会社は長続きしない。

なぜなら、「生産性」という角度から考えたとき、残業時間の増大はマイナスであるためだ。
長く働けばいいというわけではない。

人間はご案内の通り、人間であってロボットではない。
感情があり、体調も変化していく。
長時間働くと、緩やかにクオリティは落ちていく。

「生産性」を上げていきたい会社にとって、最も重要なことは社員のヒットポイントである。
すなわち、HPだ。
HPが満タンであれば社員の生産性はアップする。

そのためには長時間働かせるよりも、適度に休ませながら働かせたほうがよっぽど会社の生産性は向上していく。

退屈と苦痛

人間は昨日の出来事と今日の出来事を区別したいらしい。
昨日と同じ今日は嫌なのだ。
旅行や外食などで体験する「非日常」もこれに由来しているのかもしれない。

退屈な毎日を送る人はそこから脱却した結果、苦痛を味わうことになっても構わない。
テレビで悲惨なニュースを目にしてもそれが昨日とは違う出来事になるし、芸能人のスキャンダルもその1つである。

だいたい、1週間くらいはその話題で過ごすことができる。
話題に味がしなくなると次なる話題を求め始める。

少し前向きな話もしておこう。
人は何か新しいことに挑戦すると壁にぶつかることがある。
困難な状況にネガティブになることも多いが、一方でその困難を求めているのも人間なのである。

退屈な毎日にうんざりしている人は、何か新しいことに挑戦するのもいいのかもしれない。
また、新しいことが思いつかない人は敢えて、身近なめんどくさいことや嫌いなことに挑戦することもおすすめである。

時間はあっという間に過ぎてゆく。

まとめ

「暇」や「退屈」はこの世界に住む人間にとって切っても切れないテーマである。
退屈な時間をどうやり過ごすかは、人生の重要課題でもある。

暇や退屈な時間がなく、物事に没頭できる人はいい人生を送っている。
そう思うこともあるが、決してそうとは言い切れない。
なぜなら、暇や退屈はそもそも人間か求めていることだからだ。

お金持ちは家政婦を雇い、運転手を雇う。
すべては暇を作り出すためなのだ。
努力して作り出した「暇」な時間に苦しめられているのも私たちである。

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