【独自感想】『あなたが誰かを殺した』東野 圭吾

小説

今回は小説『あなたが誰かを殺した』東野 圭吾(著)のご紹介!加賀恭一郎シリーズの12作目となります。
『卒業』から始まった加賀恭一郎シリーズもこの作品で一区切りとなりました!
シリーズを通して、映像化されている作品もあり、小説と共に楽しむことができました。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『あなたが誰かを殺した』
著者:東野 圭吾
出版社:株式会社 講談社
発売日:2023年9月
メモ:人気の加賀恭一郎シリーズの12作目

あらすじ

8月の別荘地。様々な家族が夏を過ごすためにやってくる。総合病院を経営する夫妻と我儘な一人娘、その婚約者。大企業の会長とやり手の妻とその部下家族。経営者の妻と公認会計士の夫のパワーカップルと、中学生の娘。別荘地に移り住んだ未亡人、その姪夫婦。そして、いまは空き家になっている別荘。彼らには、毎年恒例の行事があった。それは優雅なバーベキュー・パーティ。いつも通り開催されたその催しが、思いがけない悲劇の幕開けとなる。事件に巻き込まれた家族たちは、真相を自分たちの手で解き明かそうとする。そこに現れたのは、長期休暇中の刑事・加賀恭一郎。私たちを待ち受けていたのは、想像もしない運命だった。

『あなたが誰かを殺した』裏表紙より

読書感想

放置するとどこかへ行ってしまう

人材を扱う際に最も重要なこととは何か。ビジネスにおいて、多くの人はまず雇われる側からスタートする。その後、キャリアを積んでいく中で、後輩や部下を持ち、ついには人材を管理する立場へと進む者もいる。興味深いのは、自分が指導される立場の時には、上司に対する不満が浮かびやすいが、いざ自分が管理する側になると、その経験や知見をうまく活かせないことがある点である。

よく、人は権限を持つと下の立場の人間のことを考えなくなると言われがちだが、実際にはそれほど単純ではない。むしろ、管理職になると考えるべきことが格段に増えるため、部下の状況を見落とすこともある。会社員時代、誰もが会社全体の行末を真剣に考えていたわけではない。自分の行動が直接会社の業績に影響するとは思いにくいからだ。しかし、人材を管理する立場に立つと、自分の行動が組織全体に影響を及ぼすことを強く実感するようになる。

人材を扱うということは、組織の一部を担う役割を意味する。組織が大きくなればなるほど、管理する人材も多様化し、細部に目を配る必要がある。ここで重要なのは、人材とは自分とは異なる意思を持った存在であり、放置すればその個々の意思に基づいて独自の方向に進んでしまう可能性があるということだ。

疑問をもだずに生活を続けると

勝負強い人は、どこで力を入れ、どこで手を抜くべきかをよく理解している。彼らは、重要な瞬間に全力を尽くし、それ以外の部分では効率的に進める術を知っている。多くの会社員は朝9時から夕方18時まで働くという固定的な労働時間に従っているが、これは労働の対価が時間で測られるというシステムに基づいている。しかし、仕事内容や提供するサービスが異なるにも関わらず、同じ時間働かなければならないというのは、効率を無視した単純なシステムにも思える。

実際、短い時間で済む仕事ならば、8時間働く必要はないはずである。にも関わらず、その事実に疑問を抱かずにただ時間を費やしている人は、勝負強いとは言い難い。勝負強い人は、「この仕事には8時間もかける必要はない。余った時間で別の仕事を片付けよう」や「余った時間を休息に当てよう」といった柔軟な思考を持っている。彼らは現状を把握し、近い将来を想像する能力に長けているため、効果的に仕事を進め、自分のエネルギーを最適に配分する。

現代の仕事環境では、無駄が評価されることが少なくないが、どこぞの誰かの評価を気にするよりも、自分の人生の価値を高めることに焦点を当てる方が賢明である。効率的に仕事をこなし、必要な休息を取り、自分の時間を最大限に活用することが、真に勝負強い生き方であり、人生の質を向上させる鍵となるだろう。

不幸によるポジティブシンキング

人は自分に不幸が舞い降りたとき、その不幸を信じられない気持ちから、無意識にそれを正当化しようとする傾向がある。見て見ぬ振りをするのとは異なり、不幸の細分化や別の視点を持ち込むことで、あたかもそれが大したことではないと思い込もうとするのだ。第三者から見れば、明らかな不幸であっても、当事者は「でも…」という言葉を用いて、自分の中で何とか納得しようとする。

例えば、交通事故を起こした人は、事故そのもののショックを和らげようと、「でも家にはもう一台スポーツカーが無事だ」とか、「買い物帰りだったから、買いたいものは買えた」といった具合に、無理矢理にでもラッキーだと感じようとする。このように、論点をずらしてポジティブな側面を探し出すことによって、不幸な状況を心理的に軽減しようとするのである。

これは、自己防衛の一種であり、人間が心の安定を保とうとする自然な反応とも言える。しかし、現実を曖昧にしすぎると、真の問題に対処する機会を失うことにもなりかねない。

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