【独自感想】『暗殺』柴田 哲孝

小説

今回は小説『暗殺』柴田 哲孝(著)のご紹介!
本作品は紛れも無いフィクション作品なのですが、2022年7月8日に起こった日本の元首相を襲った銃撃事件を題材としています。そのため、小説でありながらドキュメンタリー作品を読んでいるような感覚になります。

普段私たちが過ごしている日常生活では考えることもないような裏の世界があって、それが私たちの生活に大きな影響を与えているとしたら。。。フィクション作品でありながら現実世界とのリンクにゾクっとした感覚に陥るそんな作品です。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『暗殺』
著者:柴田 哲孝
出版社:株式会社 幻冬舎
発売日:2024年6月
メモ:元首相が襲われた事件を題材にした作品

あらすじ

奈良県で元内閣総理大臣が撃たれ、死亡した。その場で取り押さえられたのは41歳の男性。男は手製の銃で背後から被害者を強襲。犯行の動機として、元総理とある宗教団体との繋がりを主張したーーーーーー。日本史上最長政権を築いた元総理の殺害という前代未聞の凶行。しかし、この事件では多くの疑問点が見逃されていた。致命傷を与えた銃弾が、未だに見つかっていない。被害者の体からは、容疑者が放ったのとは逆方向から撃たれた銃創が見つかった。そして、警察の現場検証は事件発生から5日後まで行われなかった。警察は何を隠しているのか?真犯人は誰だ?35年前に起きたある未解決事件との繋がりが見えた時、全ての陰謀は白日の下に晒される。

『暗殺』帯より

読書感想

幸せの追いかけっこ

誰もが幸せで充実した生活を送れる世界は理想であり、多くの政治家がその実現を目指している。しかし現実は厳しく、全員の幸せを達成するためには、必ず誰かの犠牲を伴う。私たちの人生は、生まれた瞬間に始まり、死がゴールとなる限られた時間の中にある。

どんなに他人に優しい人であっても、自分が生きているうちに幸せを実感したいと思うのが本音である。未来の世代のために行動する人は少数であり、そのための犠牲は多くの人にとって受け入れがたい。また、仮にすべての人の幸せを平等にすることができたとしても、それが満足につながるとは限らない。私たちはしばしば他人と自分を比較し、その優位性から幸せを感じる生き物だからである。「他人より良い生活をしている」という実感が幸せを生むのであって、平等な状況下ではその感覚は薄れる。

さらに、人間の幸せの基準は一度上がると下げることが難しい。国を動かしている権力者たちが享受する高い水準の幸せに、一般市民が同じ歩調で追いつくことはほぼ不可能である。結局、理想の幸福社会とは、叶わない幻想に近いのかもしれない。

純粋な気持ちでスポーツの祭典を楽しむ

世界を舞台にしたスポーツの祭典は、私たちに多くの感動や興奮を提供する。しかし、スポーツを通じて人々に感動を与える立場にいるのはほんの一握りであり、多くの人々はその感動を受け取る側として楽しんでいる。

人生の幸福を考えるとき、自分自身が何かの当事者となることこそが、最大の幸福をもたらすものだろう。スポーツにおいても、観客として応援する人よりも実際に競技に出場し、優勝の栄冠を手にするアスリートの方がその瞬間の幸福度は圧倒的に高いに違いない。

ただし、スポーツの偉大さは、観客もまた幸福を感じることができる点にある。応援を通じて心からの喜びを分かち合い、時に涙を流すことができるのは、スポーツならではの力だ。試合に直接関わらずとも、歴史的な瞬間に立ち会うことで、その記憶は一生の思い出となる。スポーツ観戦は、私たちに心を揺さぶる体験を提供し、その瞬間を共有することで人生の一部を豊かにしてくれるのである。

攻撃の浸透性

近年、SNSを開くと見ず知らずの誰かが攻撃の対象となっている光景を目にすることが多い。かつて子供の頃は、悪いことをすれば親や先生、近所の人から叱られる程度で済んでいた。その叱責は顔見知りの相手からであるため、受け手も真摯に反省をすることができた。

しかし、現代では赤の他人から匿名でバッシングが飛び交う場面が増え、善意なのかただの嫌がらせなのか判別が難しい状況にある。叱る、怒るという行為は本来しんどいものである。なぜなら、ただ感情をぶつけるだけでは相手に伝わらず、むしろ逆効果となることを私たちは理解しているからだ。

そのため、私たちは大切な相手に対してのみ心を鬼にして叱る覚悟を持つ。SNSで見られる無責任な怒りやバッシングは、こうした覚悟を欠いた行為にすぎない。誰にでも感情をぶつけることが簡単にできてしまう世の中だからこそ、怒るという行為の本質をもう一度見つめ直す必要がある。


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