『阿蘇・長崎「ねずみ」を探せ』西村 京太郎

小説

今回小説は『阿蘇・長崎「ねずみ」を探せ』西村 京太郎著である。
トラベルミステリーとして有名な著者。

私は西村京太郎シリーズを読むのは初めてである。
もちろん知っていたし、どこかのタイミングで読んでみたいとも思っていた。
ただ、シリーズものに対して少し苦手なところがあった。

理由は、シリーズものは時系列で読んでいきたいと思っていたからだ。
西村京太郎の作品は数多く出版され、それを最初から読むが億劫だった。

今回、書店をプラついていた際、たまたま目に留まり購入を決意。
細かいことは気にせず、気になった作品に手を伸ばした。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『阿蘇・長崎「ねずみ」を探せ』
著者:西村 京太郎
出版社:新潮文庫
発売日:2010年2月1日(発行)
メモ:西村京太郎作品は450作品を超える

あらすじ

生放送直前、女性旅行ライターがテレビ局内で殺された!同じ番組に出演予定だった男が失踪。姿を消したのは、悠々自適に暮らしていた、かつての有名カーデザイナー、秋山清一郎だ。事件の鍵を求め、十津川警部と亀井刑事は、秋山夫妻が住む阿蘇へ向かう。しかし二人は不在。そして秋山のパソコンには奇妙な文章が残されていた。十津川の推理が封印されていた幾つもの”過去”を甦らせる。

『阿蘇・長崎「ねずみ」を探せ』裏表紙より

読書感想

理想と現実

理想の対義語は現実である。
当たり前ではあるが、理想は頭の中で構成される。
そして現実は目の当たりにさせられる。

誰もが皆、頭の中で思い描いた理想が現実となって起こることを願っている。
しかし世の中はそんなに甘くはない。

思い通りにことが進むのは限られた人だけだ。
その数パーセントの中に食い込むために人は歯を食いしばる。

思いが強ければ強いほど、思い通りに行かなかった時の落胆が激しい。
誰かにそのストレスをぶつけたい気持ちになる。
しかし、紛れもなく自分自身が取りこぼされたという事実は拭えない。

心に残ったモヤッとした感情に対してどうすることもできない自分がいる。
いつだって頭の中に描いた理想は霞がかったものである。
先が見えない道をなんとなくの感覚で進んでいってしまう。

そこに理想と現実の大きなギャップが存在する。

第二の人生

たった一度の人生。
これは人間が平等に与えられたものである。

しかし、思い描いた人生を送ることができなかった時、やり直したい気持ちになる。
つまり人生のやり直しだ。
願ったところで人生のやり直しが実現する人はほとんどいない。

最近、自分の子供に夢を託す親が出てきた。
これはルール違反である。
自分の人生は自分の人生で完結しなければならない。

第二の人生。

仕事や子育てがひと段落し、お金に余裕のある人が今までとは違った人生をスタートさせる。
第二の人生は大体、スローライフを楽しむものである。
時間にとらわれることなく、優雅な時間を過ごす。

第一の人生とのギャップが大きいほど充実するのだろう。
自分の人生をコントロールすることは、それだけ大掛かりなことである。
誰もができることではない。

栄光の影

栄光の影には2種類ある。
一つは、栄光に至るまでに経験した影
二つ目は、栄光に隠れた影

誰だって、栄光に至るまでには大変な思いもする。
今では落ち着いている人でも過去はがむしゃらになっていたということも多くある。
そのため、一つ目の栄光の影は何かを成し遂げるためには必要な影である。

一方、二つ目の栄光の影は汚い。
成功を手にするためには多少汚いことにも手を出す。
多少はいつしか大量へと変わっていく。

また、一つ目と二つ目では、はっきりとした違いがある。
それは影の変化である。

一つ目の影は、時間が経つにつれてだんだんと薄くなっていく。
しかし、二つ目の影は、時間が経つにつれてだんだんと濃くなっていく。

濃くなった影は、目立つ存在となり、周りにもバレ始める。
そうなってしまうともう誤魔化しようがなくなる。
白日の元にさらされて、影が具現化してくる。

隠していた影の濃さによって具現化された時の姿が決まる。

まとめ

ねずみと聞くと、なんだが不衛生で汚い印象がある。
一部のテーマパークを除き、ねずみはあまり人前には姿を現さない。

人前には姿を現さないが、ひっそりと生活を続ける。
人里離れた場所でひっそりと暮らすという比喩ではいい表現だ。

ただ、人前に出た時、それが悪い結果を招いてしまうことがある。
基本ねずみは人から嫌われている。
ひっそりと暮らすためには一生、人前に出てこない決意が必要なのかもしれない。

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