今回は小説『小説8050』林 真理子(著)のご紹介!
二桁の数字が組み合わされたタイトルはあまりみたことがないですね。「はち・まる・ごー・まる」と読むそうです。不思議なタイトルなのですが、その意味は深刻です。
80代を迎えた親が50代の子供の生活を支える状態を指し、金銭的、精神的に大きな負担をかけてしまうという社会問題を表す言葉なのです。このタイトルの意味を知っただけでもかなり重たい作品であることが伺えます。
書籍の情報を以下にまとめます▼
INFO
タイトル:『小説8050』
著者:林 真理子
出版社:株式会社 新潮社
発売日:2024年5月
メモ:社会問題を題材にした作品
あらすじ
このままでは、我が子を手にかけ、自分も死ぬしかない。歯科医の大澤正樹とその妻、節子は悩んでいた。長男の翔太は中学で不登校に、以後七年間引きこもり続けている。一方、一流企業に勤める姉の由依は、弟のせいで結婚できないと両親に訴える。ついに息子と向き合う決心をした正樹が知った恐ろしい真実とはーーーーー。引きこもり、家庭内暴力、不登校、いじめ・・・・・・・現代日本を抉る社会はエンタメ長編。
『小説8050』裏表紙より
読書感想
隠し味を隠し通せ
結婚というのは全く別の思想を持った人同士が繋がることであり、はなから分かり合えることなんて期待はできない。掃除の仕方や、料理の味付けなど、日本人同士のカップルでさえも異なる考え方を持つ。
ここで重要なことは新たな自分を構築することである。結婚をするまでの自分を旧型として、結婚をした後の自分を新型とする。捉え方、考え方も一新し、結婚相手とのバランスのみに注力して形成していくことが大切だ。
これまでに経験したことによる引き出しは一旦凍結させる。結婚後の夫婦関係は気持ちの舞い上がりも含めて序盤にピークを迎える。その後、いい意味で下降を辿っていく。少し落ち着いたタイミングで、これまで凍結しておいた引き出しから胡椒少々くらいの分量を摘み上げるのがベストである。
つまり、隠し味として加えたエッセンスなんて所詮少量に過ぎず、味に影響なんて与えないだろ。それくらいの塩梅がちょうどいいということだ。大切なのはその時の自分の気持ちだ。胡椒少々であっても自分のこだわりを加えられたことで充実感を感じられるはずだ。
腐ったみかんがどこにあるか
見て見ぬ振りというのは、自分に関係がないことが前提である。他人が困っていようと自分には関係がないから見て見ぬ振りをする。対象者が赤の他人であれば受け流す程度のことである。しかし、家族などの限られたコミュニティ内で起きたことに対して見て見ぬ振りをし続けてしまうと違った結果がもたらされることもある。
「見て見ぬ不利」字の如く、いつしかそれは自分にとって不利な状況を招きかねないのだ。どっかの外国で売られている腐ったみかんは見て見ぬ振りをしても自分に影響を及ぼすことはないだろう。では、近所のスーパーで売ってる腐ったみかんはどうだろう。
一見関係がないようにも見えるが、誤って買ってしまう可能性は格段に上がる。家のリビングに置いてある腐ったみかんともなると、誤って食べてしまうリスクまで発生する。このように自分の身近な存在に対して見て見ぬ振りをし続けてしまうと、気がつかない間にリスクだけが増大してしまうのだ。
子育てほど抽象的なものはない
子育ての正解を求める行為は危険である。正解を求めてしまうと、極端な思想に傾いてしまう。そのような子育てをしたところで、子供は幸せであるはずがない。そのため、子育ては結果論で語るのが良い。つまり、思い出話である。
お正月、久しぶりに実家に帰り、両親と懐かしい思い出話に花が咲く。過去の話には、必ずしもパッピーな出来事ばかりではないだろう。家族にとっての大ピンチや親に迷惑をかけた出来事なども含まれる。ただそれら全ての出来事を思い出として話せるという機会は、幸せの象徴と言っていい。
少なくとも、今現在は順風満帆な生活を送っているという証でもある。また、思い出話では、過去を振り返って正解・不正解を正すこともしない。純粋に楽しい出来事として話題に上る。つまり、過去に行ったとされる子育てに正解も不正解もないということだ。
今を楽しく生きる行為は人生をいいものにする上で重要だ。一回一回振り返ってこれは正解、あれは間違っていたなど、反省を繰り返すのは得策とはいかない。なぜなら、時間は決して止まらないからだ。反省をして落ち込んでいる時でさえ、時間は止まってくれない。
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