『人間』又吉 直樹

小説

今回は、小説『人間』のご紹介。
著者は芸人のピース・又吉直樹さん。
『火花』で芥川賞を受賞し、一躍人気作家となった。

テレビやYouTubeでも活躍の著者が初めての長編作品を執筆。
「人間」というシンプルなタイトルだからこそ、読み手にその解釈が委ねられる。
表紙の装画もどことなく物語の雰囲気を醸し出している。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『人間』
著者:又吉 直樹
出版社:角川文庫
発売日:2022年4月25日(初版発行)
メモ:著者初めての長編作品

あらすじ

38歳の誕生日に届いた1通のメールが痛恨の記憶を呼び起こす。漫画家を目指し上京した永山が住んだのは、美術系の学生が集う共同住宅「ハウス」。住人達との生活の中である騒動が起こりすべてが打ち砕かれるーーーーーーー。何者かになろうとあがいた歳月の果てに永山が見た景色とは?自意識にもがき苦しみながらそれでも生きて行く「人間」を描いた又吉直樹の初長編小説が、単行本では描かれなかったエピソードを加筆し、待望の文庫化。

『人間』裏表紙より

読書感想

オリジナリティ

何かしらの分野で活躍し、有名になる人は共通するものがある。
それは、その人にしかない独特な雰囲気である。
「あの人は人を惹きつけるオーラがある」こういったものだ。

オーラのある人は、たとえ大勢の人の中にいても目を惹く。
自然とその人に目がいってしまうのだ。
化学的に証明されているかはわからないが、確かにこの現象はある。

世の中に有名になりたい人はたくさんいる。
その中の、特に芸術路線を走っている人は独特な雰囲気をまとっていることが多い。
その雰囲気は無意識のものなのか、ゴリゴリに意識したものなのかはその人にしかわからない。

人と違うことをやって目立ちたい。
人と違うことをやってセンスがあると思われたい。
人と違うことをやって有名になりたい。

人と違うことはつまり、オリジナリティである。
オリジナリティの椅子取り合戦が始まる。
人気な椅子はすぐに埋まってしまう。

いつしか人は、オリジナリティの椅子に座ることに意識が奪われてしまう。
まるで花火大会の場所取りのようである。
空いているところを必死に探すあまり、花火のことは頭から離れてしまっている。

多重人格の世界

副業が一般的になりつつある。
副業とは、本業とは別にお金を稼ぐ手段を見つけ労働することである。
そのため本業と副業は全くの別物で良い。

本業は医療系で働き、副業は動画クリエイター。
このくらいのギャップは当たり前である。

本業と副業では意識することも異なる。
仕事内容が異なれば当たり前のことではある。
いわば、2種類の顔を持つことになる。

YouTubeというものが流行り出して10年以上が経つ。
その中でYouTuberという言葉が生まれた。
その意味はYouTubeで稼いでいる人(クリエイター)を指した。

しかし、今は多くの芸能人を始め、副業でYouTubeを始めている人が多くいる。
彼らの肩書きはYouTuberなのか?

YouTubeを制作しているときはYouTuber。
テレビに出ているときはタレント。
今や純粋な肩書きは少なくなっている。

働き方の多様化に伴って、自分自身の在り方も随分と変わった。
苦手な分野や評価のされない分野にとどまる必要はなくなり、いくつかの肩書きを持って生きる道を探す。

多重人格を駆使して、自分に当てはまる最適な道を探す。

文字による伝達

本当に自分の気持ちを伝えたいとき、文章だと心もとない時がある。
また、誤解を生まないためにも文章の中にさまざまな文言を埋めてしまう。
すると、情報量が多くなってしまいかえって伝わりづらい文章に。

相手にダイレクトに思いをぶつけるためには、思い切って情報を削ることが大切になってくる。
一度のやり取りで全てを伝え切るのではなく、あえて相手に「?」の感情を与える。

すると相手から「?」マーク付きの返信が返ってくる。
このラリーを続けることで自分の気持ちを誤解なく伝えることができる。

以上のことは、多少文章に関わりのある人なら知っていることである。
しかし、実践できているかというと必ずしもそうではない。
何か大きな壁が立ちはだかっているのだろうか?

原因は様々あるだろうが、その一つが「怒り」である。
怒りの感情は人間を複雑にする。
自分で自分を制御できなくなってしまう。

すると、自分の気持ちをたっぷりと詰め込んだ文章が出来上がる。
会話では一方的に話すことで相手を圧倒することができる。
しかし、文章上ではそうはいかない。
なぜなら、相手がその文章をどのタイミングで読むかがコントロールできないからだ。

文章でのやり取りでは、相手の状況も加味することが重要だ。
しかも相手の様子をリアルタイムで確認することはできない。
だから、文章による伝達には技術がいる。

まとめ

思春期が過ぎ、少し落ち着いた人生を過ごしていると今度は「自分という人間とは何か?」という問題にぶつかる。

特に20代前半は成人を迎えた途端に自分の人生を意識し始める。
何者かにはなりたいが、何者になりたいかはわからない状態。
漠然とした不安が押し寄せてくる。

初心に帰ってみたり、少し背伸びをしてみたり。
意識してやってみるがこれといったものには出会えない。

振り返ってみると、この経験を境に1年間の短さを感じ始めたように思う。
人生をやり直せるとして、20代前半に戻ることができたらどうするか?

想像し切ることは難しいが、私はまた同じことの繰り返しになると思ってしまう。
20代前半はそういう年頃なんだと。
ある程度年齢を重ねないと思いつかないこともある。

探していた何者かはこっちが早歩きをしても早く出会うわけではない。
出会う時に出会うべくして出会う。
それがいつかはもう既に決まっているのかもしれない。

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