『鉄道員(ぽっぽや)』浅田 次郎

小説

今回は短編小説『鉄道員(ぽっぽや)』浅田 次郎著のご紹介。
タイトルにある『鉄道員(ぽっぽや)』は高倉健さん主演で映画化された作品。
私自身も読後に映画も鑑賞。
心にジーンとくる作品。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『鉄道員(ぽっぽや)』
著者:浅田 次郎
出版社:集英社文庫
発売日:2000年3月25日(第1刷発行)
メモ:タイトル作『鉄道員(ぽっぽや)』は高倉健主演で映画化

次に収録されている短編作品の一覧を以下にまとめます▼

収録作品
△ 「鉄道員(ぽっぽや)」
△ 「ラブ・レター」
△ 「悪魔」
△ 「角筈にて」
△ 「伽羅」
△ 「うらぼんえ」
△ 「ろくでなしのサンタ」
△ 「オリヲン座からの招待状」

こちらの書籍を購入した際の記事もご覧ください▼

あらすじ

廃線が決まった北海道のローカル線。雪の降りしきるその終着駅に、退職間近の駅長・乙松は、ただ一人、立ち続けた。娘を亡くした日も、妻を亡くした日も・・・・・・・。映画化され大ヒットした表題作「鉄道員」はじめ「ラブ・レター」「角筈にて」「うらぼんえ」「オリヲン座からの招待状」など、珠玉の短篇8作品を収録。日本中を感涙の渦に巻き込んだ空前のベストセラー作品集。第117回直木賞受賞作。

『鉄道員(ぽっぽや)』裏表紙より

読書感想

当事者の死

当事者の死は誰も理解ができない。
正確にいうと、自分の番が来るまでは理解ができないだ。

たとえ、死にゆく姿を目の前で見ていたとしてもその人の心内はわからない。

前世の記憶を持った人がいるそうだ。
そういった人であれば、死にゆく人の気持ちというのが理解できるのだろうか。
だけど、またその人も死ぬ。

一度死んだ時の記憶によって、死ぬことの恐怖は和らぐのだろうか。

私は思う、死ぬ時の気持ちに前世は関係ない。
重要なのは現世である。
現世でどういった人に出会い、どういった人生を歩んだかで決まる。

私は前世の記憶を持たない。

誰かの死

誰かの死。

これほど、無責任な立場はない。
日本中、世界中と、どこかで今日も人は死んでいる。
私に取ってそれは誰かの死なのである。

悲しみの共有はできないと誰かが言った。
誰かの死はつまり、誰かの悲しみでもある。
だけど私はその人と同じようには悲しめない。

勘違いしてはいけないことがある。
それは、誰かの死はいつしか自分に回ってくるということだ。
自分の死ではない、自分の周りの死である。

その時の悲しみは、自分の中でケジメをつけなければならない。

知り合いの死

前章で述べた自分の周りの死、つまり知り合いの死である。

親しければ親しいほど悲しい。
しかし、前にも述べた通り、その悲しみは自分の中でケジメをつけなければならない。

一番厄介なのは、生前何もしてあげれなかったと思うことである。
これはもう取り返しがつかない。
いなくなって初めてその人の大切さを知る。

かの有名な画家、ゴッホも生前はまったく評価がされなかった。
今でこそ、彼の作品は100億円以上で取引がされている。
亡くなってからだ。

いなくなって初めてその人の大切さを知る。
これをゴッホ化現象と呼ぶ。

元気に生きているうちから評価をしてあげる。
とても生意気な表現だが、自らのためでもある。
知り合いの死を乗り越えるためには、今何をするかだ。

まとめ

短編小説『鉄道員(ぽっぽや)』を読んで、このような感想を抱く人は少ないだろう。
私自身、「死」をテーマに感想記事を書くとは思ってもいなかった。

しかし、短編小説『鉄道員(ぽっぽや)』に収録されている8篇には「死」が共通して描かれている。
私はそう読んだ。
そこから派生して今回のような感想を抱いたのである。

短編小説『鉄道員(ぽっぽや)』は心温まる作品が収録されている。
表題作である『鉄道員(ぽっぽや)』は高倉健さん主演で映画化もされている。

私も作品を読んだのち、映画も鑑賞した。
短篇作品の描写を丁寧に汲み取られた作品で心にくるものがあった。
併せて楽しむのもおすすめである。

Amazonからの購入はこちら▼

コメント