『ラーゲリより愛を込めて』辺見 じゅん 原作

小説

今回はノベライズ作品『ラーゲリより愛を込めて』辺見 じゅんのご紹介。
ラーゲリとはロシア語で「捕虜の収容所」という意味。

実話をもとにしたこの作品は、12月9日に映画が公開されます。
正直、実話ということを忘れてしまうくらい
今の私たちの生活からはかけ離れた内容でした。

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書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『ラーゲリより愛を込めて』
原作者:辺見 じゅん
出版社:文春文庫
発売日:2022年8月10日(第1刷)
メモ:実話をもとにした感動ストーリー

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あらすじ

「生きる希望を捨ててはいけません。帰国(ダモイ)の日は必ずやって来ます」シベリアで捕虜として死と隣り合わせの日々を過ごしながらも、家族を想い仲間を励まし、懸命に前を向く男がいたーーーーー 山本幡男の壮絶な半生と、夫の無事を信じ11年間待ち続けた妻との夫婦愛、捕虜となった仲間達との絆を描く。心震わす感動の実話。映画ノベライズ。

『ラーゲリより愛を込めて』裏表紙より

読書感想

戦争が終結したとは?

戦争の終わりはどこなのだろうか?
日本では8月15日が「終戦の日」とされている。
しかし、戦争に関わった他国の終戦日は異なるみたいだ。

日本における終戦の日は、昭和天皇がラジオを通じて告げた玉音放送の日である。
日本が戦争での負けを認め、国民に知らせたタイミングだ。
いわゆる、これが日本にとっての戦争の終結である。

現代を生きる私たちが戦争の終結と聞くと、
どこか平穏な生活が訪れた世の中を想像してしまう。
どうやらその考えは間違っていたようだ。

戦争の最前線に立ち、国のために戦ってきた兵士たちの中には
捕虜として身柄を拘束された人たちがいた。
そのような人たちにとってはむしろ、そこからが地獄の始まりであった。

戦争の戦犯として捕らえられた捕虜たちは朝から晩まで働かされた。
国のためにと、誇りを持って戦っていた戦争とは真逆な、
何のために、なぜ過酷な労働を課せられているのか、全く理解できない状況であった。

本当の意味での終戦は、戦争に関わった全ての人たちによって位置付けが変わってくる。
それぞれ、バラバラであり、何日も存在するのだろう。

過去に執着する日々

捕虜として過酷な毎日を送っていた元兵士たちは、
未来に対する希望願望を、知らない間に持つことができなくなってしまった。

「将来、自分はこのようなことをやりたい」
「将来、あそこに行ってみたいな」
「将来、あんなものを食べてみたいな」

その日の暮らし、そして労働に縛られていた捕虜たちはこのようなことを考えられなくなった。

「あの時、なぜ妻にあんなことをしてしまったのだろう」
「子どもたちにもっと贅沢をさせてあげればよかった」
「親孝行できなかったな」

頭の中に染み付くのは、後悔の念ばかりである。
未来が思い描けないとき、人は過去への執着が高まる。

どんなに後悔をしても過去を変えることはできない。
この事実を私たちは理解している。

変えられない過去を持っていても私たちが生き続けられているのは、
未来に待ち受ける不確かな希望を感じられているからだ。
辛い過去をもひっくり返す、そんな明るい未来に私たちは生かされている。

当たり前の世界は存在するのか?

当たり前という言葉の意味を調べると、
「わかりきった、言うまでもないこと」とある。

正直、小説『ラーゲリより愛を込めて』を読むと、当たり前と言う言葉が途端に難解になる。
なぜなら、その世界に当たり前は存在しないからだ。

「当たり前」という言葉を少しずらして考えてみる。
”当たり前は、その時代の価値観によって変化していくもの”
すなわち、今の当たり前は将来の当たり前とは限らないという考え。

しかしそうなると、「わかりきった、言うまでもないこと」という言葉に引っかかる。
将来、「わかりきった、言うまでもないこと」が覆ることが本当にあるのだろうか?
この仮想的な考え方に恐怖を感じる人は私だけではないだろう。

人間としての当たり前が通用しなかったのが戦争である。
過去を振り返ってみると、物理的ではない何かによって強烈な力が加わった時、
それまでの当たり前は簡単に覆させられることがわかった。

見えない強烈な力を、私たちは見破ることはできるのだろうか?

まとめ

今回は小説『ラーゲリより愛を込めて』辺見 じゅんのご紹介でした。
本当に実話なのか?と最初から最後まで思わされる作品。

戦争の無残さを、戦争が終わった後の出来事で伝えられたことが
とても新鮮であり、とても心に重たく残り続けています。

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