【独自感想】『立秋』乙川 優三郎

小説

今回は小説『立秋』乙川 優三郎(著)のご紹介!
確かこの本は10月の上旬ごろに書店で見かけて購入をした作品です。暦的にも暑い夏がようやく終わりを告げる時期。秋を感じる作品なのかなと手に取りました。私は1年の中で秋が1番好きな季節なのでようやく訪れる秋に待ちきれなさも感じていました。

本作品は1人の作家の男性と漆工に携わっている女性の物語。若い男女の恋物語ではなく、少し歳を重ねた男性と女性の色恋が描かれています。どこか懐かしさを感じる文章なのですが、舞台は現代に近いようです。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『立秋』
著者:乙川 優三郎
出版社:株式会社 小学館
発売日:2024年9月
メモ:どこか懐かしさを感じる文章

あらすじ

匂い立つ情感、深化する二人の芳醇な時間
信州塩尻・パリ
女と男の旅にレールはない
漆に身を捧げた女は男と出会った
ふたりはそれぞれに幸福であった。
出会いのきっかけは漆器。
シンプルで控えめな佇まい、官能的とも思える光沢は作者そのものだった。
男は漆工・涼子の住む信州・奈良井に旅立ち、二人の時間が交錯した。

『立秋』帯より

読書感想

平日の朝6時、休日の朝6時

休日の朝6時に目が覚めると、清々しい気持ちでカーテンを開け、太陽の光を浴びながら伸びをする。一方、平日の朝6時には憂鬱な気分で目を覚まし、眠気を覚ますために冷水で顔を洗う。同じ時間に起きているにもかかわらず、休日と平日で気分が大きく異なるのは不思議である。その理由は、「これからの展開が想像できるかどうか」にある。平日の朝には、これからの支度や通勤、そして仕事というルーティンがすぐに頭に浮かび、それが気分を重くする。一方、休日の朝は、予定が決まっておらず、これから何をするかを自由に考えられるため、解放感を味わえるのだ。

人は今後の展開を予想でき、しかもその展開がネガティブである時、気持ちは重くなる。逆に、予測がつかない、もしくは想像する必要がない時、心は軽くなる。生活をルーティン化することで余計な思考を減らし、効率を上げることはできるが、その反面、充実感やワクワク感といったモチベーションは下がりやすくなる

だからこそ、私たちは適度に新しいことに挑戦したり、予測不可能な趣味を見つけることで、平凡な日常から脱却することが求められる。釣りやキャンプのような自然を相手にするアクティビティは、その日の成果が予想できず、ワクワク感をもたらしてくれるため、特におすすめである。

限られた時間の中で

約100年前、人間の平均寿命は40歳程度であったが、現在ではその倍の80年近くまで延びている。しかし、80年という年月をもってしても、世の中のあらゆることを経験することはできない。それは単なる時間の問題だけでなく、私たちの能力の限界も関わっている。例えば、絵が苦手な人が絶景をそのまま描くことは難しいし、運動が得意な人でもプロスポーツ選手として活躍できるとは限らない。このように、私たちは限られた能力の中で生きていかなければならない。

しかし、自分にできないことも他者が作り出したものに触れることで補完することができる。絵が描けなくても美術館で世界的な名画を鑑賞することで感動を味わえ、スポーツが苦手でも観戦を通じてアスリートの躍動を楽しむことができる。文学も同様で、フィクションの物語に没入することは、他人の経験を擬似体験することに他ならない。芸術や文学、スポーツといった文化は、私たちの生活を豊かにする重要な手段であり、文明の発展がもたらした貴重な娯楽である

このような多様な文化と関わり合うことで、私たちは人間としての一生を形作っていく。自分の限界を認識しつつも、他者の創造物に触れることで得られる感動や知識が、人生を彩り、より豊かなものにしていくのだ。

思い出の収納方法

写真という記録媒体は、その瞬間を切り取り、記憶として残すための手段である。しかし、実際に撮った写真を振り返る人がどれだけいるだろうか。人間の記憶には短期的なものと長期的なものが存在する。短期的な記憶とは、友達と出かけた時の楽しい出来事のように、瞬間的に記憶され、すぐに忘れ去られてしまうものだ。一方、長期的な記憶は、歳を重ねても思い出話として語り継がれるような深い記憶である。

写真は本来、この両方の記憶を記録する手段として有効である。しかし、現代人は写真を撮ることに意識を集中しすぎるあまり、長期的な記憶に変わるはずの思い出も、写真を撮ったという行為で浅く終わってしまうことが多い。短期的な記憶は瞬発的に盛り上がり、すぐに消えていくが、長期的な記憶には心で感じ、言葉として発するまでの時間が必要である。

例えば、美しい景色を見た時、まず心でその美しさを感じ、そしてそれを言葉にするまでには少しの間がある。この心から言葉へのプロセスを経ることで、感情が正しく巡り、その記憶は長期的なものとして残る。しかし、常にカメラを構えていると、そのプロセスが遮られ、心で感じる余裕を失うことになる。結果として、その瞬間が思い出に変わる前に、単なる写真という記録に終わってしまうのだ。

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