【独自感想】『さまよう刃』東野 圭吾

小説

今回は小説『さまよう刃』東野 圭吾(著)のご紹介!
この小説は私がこれまで読んできた東野 圭吾作品とは一味違った作品。かなり直接的なシーンも描かれています。また、ミステリーではなく、人間の心情、感情をかき乱すようなそんなストーリーとなっています。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『さまよう刃』
著者:東野 圭吾
出版社:株式会社KADOKAWA
発売日:2008年5月
メモ:世間を賑わす復讐劇

あらすじ

長峰の一人娘・絵摩の死体が荒川から発見された。花火大会の帰りに、未成年の少年グループによって蹂躙された末の遺棄だった。謎の密告電話によって犯人を知った長峰は、突き動かされるように娘の復讐に乗り出しだ。犯人の一人を殺害し、さらに逃走する父親を、警察とマスコミが追う。正義とは何か。誰が犯人を裁くのか。世論を巻き込み、事件は予想外の結末を迎えるーーーーーー。重く哀しいテーマに挑んだ、心を揺さぶる傑作長編。

『さまよう刃』裏表紙より

読書感想

幸せな奴が考えた世界

社会の仕組みや決まり事は、多くの場合、人々の先頭に立つようなリーダー層によって決められる。その中には、充実した生活を送る人々に向けたものもあれば、生活に困窮している人々や何らかのハンディキャップを抱えた人々を対象としたものもある。しかし、生活に余裕のあるリーダー層が、本当に困窮している人の気持ちを理解できるのだろうか。

同じような苦しみを経験していない人が、その本当の苦しみを理解することは難しい。これは、日本で平和に暮らす私たちが、戦争に苦しむ国々の現実を的確に理解するのが困難なのと同じである。

また、若い頃にヤンチャをしていた人が社会に貢献する仕事につくと、過去の反省が強調され、必要以上に評価されることがある。これに対して、子供の頃から一貫して努力を続けてきた人が評価されにくいという不公平感が生まれる。この現象は、社会が評価の基準としてストーリー性を求めがちな傾向を反映している。人間は感情に動かされやすく、劇的な変化やドラマティックな物語に引き込まれがちである。しかし、見栄えの良いストーリーにばかり目を奪われると、結果的にその決定や評価の本質を見失うことになる。

理想を見つける難しさ

理想的な未来を描きすぎると、現在の細部が疎かになることがある。例えば、忙しい仕事を終え、束の間の休日に旅行を計画することは、自分へのご褒美として理想的だ。旅行は特別なイベントであり、1年間に何度もあるものではないため、旅行自体が喜びの頂点となる。しかし、旅行の日が近づくにつれて、その日がゴールのように感じられ、旅行そのものの内容や楽しみ方に目が向かなくなることがある。

このような場合、旅行の行程や具体的な計画、どこに行き、何を食べ、どこに泊まるかといった詳細な部分が疎かになる。理想の未来に焦点を当てすぎた結果、旅行そのものがただの「目標達成」となり、旅行当日がゴールのように感じられてしまう。そのため、旅行中の体験が十分に味わえず、後から振り返っても特別な思い出が残らないことがある。

理想を描くことは大切だが、その過程における細部や体験を大切にすることも重要である。旅行という特別な時間を真に楽しむためには、単に目的地に到達することではなく、その過程での体験や感動を味わうことが鍵となる。

ぼやっととしか生きていない私たち

普段、私たちは「死」というものを意識することはほとんどない。しかし、人間は突然体調を崩したり、心のバランスを失ったりする生き物であり、症状が悪化すれば簡単に死に至ることもある。それほど人間は弱い存在であり、今はただ絶妙なバランスの中で生きているに過ぎない。ちょっとしたきっかけでそのバランスが崩れれば、私たちはすぐに命を失ってしまう可能性がある。

もし私たちが本当にそんなに弱い生き物であるのならば、もっと自分自身を丁寧に扱う必要がある。なぜなら、何がきっかけで生死のバランスが崩れるかは予測できないからだ。私たちは夜更かしを平気でし、時には暴飲暴食をすることもある。若い頃には、「かっこいい」という理由だけでタバコを吸う人もいる。これらの行動は、普段「死」を身近に感じていないことの表れである。

もし私たちが自らの弱さを認め、常に「死」を身近に感じる生活を送るならば、もっと健康的な生活を送り、いかにして「死」を遠ざけられるかを真剣に探求するだろう。

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