【独自感想】『新参者』東野 圭吾

小説

今回は小説『新参者』東野 圭吾(著)のご紹介!加賀恭一郎シリーズの8作目となります。
こちらの作品は長編ドラマとして映像化もされています。
日本橋署に赴任をした加賀恭一郎が新たな土地で様々人からの証言をもとに事件を解決していきます。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『新参者』
著者:東野 圭吾
出版社:株式会社 講談社
発売日:2013年8月
メモ:人気の加賀恭一郎シリーズの8作目

あらすじ

日本橋の片隅で一人の女性が絞殺された。着任したばかりの刑事・加賀恭一郎の前に立ちはだかるのは、人情という名の謎。手掛かりををくれるのは江戸情緒残る街に暮らす普通の人びと。「事件で傷ついた人がいるなら、救い出すのも私の仕事です」。大切な人を守るために生まれた謎が、犯人へと繋がっていく。

『新参者』裏表紙より

読書感想

見えない部分の関係性

当人同士でしか理解できないことというものが存在する。これは、表面上には見えないが、心の奥深くでしっかりと繋がっている関係性のことを指す。こうした関係性は、どのようにして築かれたのかを言葉で説明するのは難しい。しかし、そこには計り知れない信頼関係や絆が存在する。

このような絆は、外部からのちょっとした風では揺るがないほど強固である。長い時間をかけて築かれた関係性や共有された経験が、その基盤を形成している。信頼や共感、理解が積み重なり、見えない絆が生まれる。これは、一朝一夕で手に入るものではなく、日々の小さな行動や言葉の積み重ねから生まれるものである。

また、こうした関係性は、他人から見ると理解し難いものかもしれない。表面的には気づかれない部分が多いため、周囲からは普通の関係に見えることもある。しかし、当人同士はその絆の強さを深く理解しており、その信頼関係は容易に崩れることがない。

実感を拒む時

人間には五感が備わっており、味覚、嗅覚、聴覚、触覚、視覚がそれである。これらの感覚を駆使して、実感という確かなものを私たちは感じ取っている。しかし、時としてその実感がなかなか得られないことがある。例えば、非常に親しい人が亡くなってしまった時がそうである。視覚や聴覚を通じてその悲しい事実を知ったとしても、その情報がすぐに実感として心に響くわけではない。

このような状況では、五感から得た情報を心が受け入れられないことがある。それは、おそらくその事実を認めてしまうことで、自分が立ち直れなくなるのではないかという恐怖からくるものであろう。身体や心が、現実を拒否する防御反応を起こしているのかもしれない。

また、実感が伴わないのは、愛する人が突然いなくなったという喪失感の大きさに心が対応しきれないためである。五感を通じて得た情報が、その瞬間には現実として受け入れられないほど、感情が圧倒されているからであろう。

孤高の存在の存在感の無さ

人間が物心つくのは、大体3歳から5歳くらいだろうか。記憶が曖昧な時期や全く記憶がない幼少期も、両親や周囲の人々の手によって育てられてきた。年齢を重ねるにつれて、誰かに育てられるという感覚から、自らの力で生活を営むという感覚に変わっていく。しかし、当然のことながら人間は一人では生きていけない。子供であろうと大人であろうと、誰かの手を借りながら人生を歩んでいくのが現実である。

人は、与えられる側から与える側へと変わることで、社会における大人としての役割を果たすようになる。これは成長と共に自然に身につくものであり、他者への感謝や責任感を伴う。しかし一方で、自分の力だけで生きていると錯覚している人もいる。そのような人は、自分の力を過大評価し、周囲の支えや協力を見過ごしてしまうことがある。

このような誤った自己認識を持つ人の周りには、やがて人は集まらなくなる。他者との協力や助け合いがなければ、真に豊かな人生を築くことは難しい。しかし、その事実に気づかず、自分の力だけで全てを成し遂げていると信じている人は、孤立してしまうことが多い。

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