【独自感想】『そして誰もいなくなった』アガサ・クリスティー

小説

今回は小説『そして誰もいなくなった』アガサ・クリスティー(著)のご紹介!
世界的に有名な推理小説家であり、世界的に有名な作品ではないでしょうか。
孤島に招かれた男女十人が次々と殺されていく物語。差し迫ってくる恐怖に読みても手に汗握ること間違いなしです。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『そして誰もいなくなった』
著者:アガサ・クリスティー
訳者:青木 久恵
出版社:株式会社 早川書房
発売日:2010年11月
※文庫本の発行月
メモ:世界で1億冊以上出版された作品

あらすじ

その孤島に招き寄せられたのは、たがいに面識もない、職業や年齢もさまざまな十人の男女だった。だが、招待主の姿は島にはなく、やがて夕食の席上、彼らの過去の犯罪を暴き立てる謎の声が響く・・・・・そして無気味な童謡の歌詞通りに、彼らが一人ずつ殺されてゆく!強烈なサスペンスに彩られた最高傑作。新訳決定版

『そして誰もいなくなった』裏表紙より

読書感想

同じ世界で異なる人生を歩む私たち

私たちの生活様式によって、身近に感じられるものと感じられないものがある。この現象は、同じ日本に住んでいても顕著に現れる。お金を持っている人と持っていない人では、経験することが全く異なり、その経験が人間形成に影響を与える。結果として、異なる人生観や価値観を持つ人々が出来上がる。

この現象を基に、人生を成功に導く方法を考えると、まずは「到底叶わない」と思っていることを日々意識することが重要である。手が届かないと感じる時点では、それは遠い存在であり、身近に感じられない。しかし、毎日意識し続けることで、少しずつその目標が現実的に感じられ、気づいたときには手を伸ばせば届く距離にまで近づいていることがある。これは、意識の問題に過ぎないが、人間はその意識によって大きく行動が変わる生き物である。

実際、ちょっとしたきっかけや出会いが人生を劇的に変えることはよくある。そのきっかけを自分の意識によって生み出せるのであれば、それは大きなチャンスであり、成功への一歩となるだろう。

想像した世界が現実を超える

退屈は時として最も苦痛な状態である。何もすることができず、スマホを触ることも、本を読むことも、誰かと会話することもできない状況を想像するだけで耐え難い。しかし、そんな状況でも唯一できることがある。それは「考えること」である。何もできないという状態は死んでいるわけではなく、頭の中で自由に物事を考えることができる。この究極の退屈状態において、想像力は果てしなく広がるだろう。

考えることしかできない状況では、思考が現実を逆転し、頭の中の世界が現実世界となるかもしれない。想像の中でスマホを触ったり、本を読んだりすることができ、架空の人物や過去の偉人とも会話することが可能となる。こうした想像力が現実を超える瞬間、退屈は究極の暇つぶしとして人間を没入させることになるだろう。

この想像の世界では、勝手に作り上げた景色に感動することがあるのだろうか。怒りや憤りを感じることもあるかもしれないが、想像の世界を無理に住みづらいものにする必要はない。

無邪気さを手にいれる

恐怖とは、実態が見えないからこそ感じるものである。もし恐怖の正体が予測できるのであれば、対策を講じたり、心の準備をすることが可能だろう。人生におけるさまざまな経験は、恐怖を和らげるためにあると考えてもよい。しかし、まだ経験の少ない子供たちは、その無邪気さゆえに恐怖を感じていないように見える。彼らは今を生きているからこそ、恐怖に対する立ち向かい方を考えずとも、自然に過ごしているのだ。

恐怖には2つの種類がある。1つは過去に対する恐怖であり、これはトラウマとして現在に影響を及ぼすものである。もう1つは未来に対する恐怖で、これは将来に対する不安や、自分の思い通りにならないかもしれないという恐れだ。現在進行形の恐怖は、これら2つの恐怖に起因するためここでは省く。

子供たちが無邪気に過ごせるのは、どちらの恐怖も感じていないからである。過去の恐怖は、そもそも経験が少ないためにトラウマとして残るものが少ない。そして、未来に対する恐怖は、今を一生懸命生きる彼らにとって将来を考える余裕がないため感じにくいのである。しかし、大人になるにつれて、責任が増え、将来を考える時間が増えると、実態の見えない未来への恐怖に悩まされることが多くなる。

この恐怖に対処するためには、過度に先を見据えず、過去の出来事に引きずられないことが重要である。頭では理解できても、それを行動に移すことは容易ではない。しかし、行動を起こさなければ一生実態の見えない恐怖に囚われ続けるのだとすれば、それこそ必死に行動しなければならないだろう。

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