今回は小説『透明な螺旋』東野 圭吾(著)のご紹介!
本作品はガリレオシリーズの第10弾となる作品のようです。行方不明届が出されていた男性の死体が発見されたことがきっかけで様々な事件が発生する物語。主要人物である湯川 学の過去にも触れる作品となっています。
書籍の情報を以下にまとめます▼
INFO
タイトル:『透明な螺旋』
著者:東野 圭吾
出版社:株式会社 文藝春秋
発売日:2024年9月
メモ:巻末に短編『重命る』(かさなる)を収録
あらすじ
南房総沖に、男の銃殺死体が浮かんだ。同時に、男の行方不明届を出していた同居人の女が行方をくらませた。捜査にあたった草薙と内海薫はその過程で、思いがけず湯川学の名前に行きつく。草薙はすぐさま湯川の元を訪れたが、彼はそこ、横須賀のマンションで意外な生活を送っていたーーーーーーー。巻末に短編「重命る」を特別収録。
『透明な螺旋』裏表紙より
読書感想
テレビが面白くなくなったのは誰のせい?
過去を振り返り、「あの頃のテレビは面白かった」と感じることがある。近年のテレビ業界は、コンプライアンスの強化により多くの規制が敷かれ、さらにSNSの普及によって演者の些細な言動が炎上することが増えている。もともとテレビはスポンサーの支援を受けて成り立つビジネスであり、スポンサーの資金提供によって制作費や演者への報酬が支払われてきた。スポンサーはエンドユーザーである消費者の目を気にするため、SNS上の発言がテレビ業界への影響を及ぼすことも否めない。
また、テレビは世の中の経済状況にも左右される。昭和の時代には、景気が良かったこともあり、バラエティ番組には多額の予算が投じられていた。しかし、景気が悪化しスポンサー企業の業績が低迷すると、その影響は当然テレビ業界にも及ぶ。こうした状況の中、私たちは「最近のテレビはつまらなくなった」と簡単に口にしてしまう。
しかし、テレビの面白さが失われた原因は必ずしも作り手の責任だけではない。SNSでの無責任な発言が社会全体の行動範囲を狭め、結果としてテレビ番組の制作も制約を受けている側面がある。自由な発言がテレビ業界に与える影響を無視することはできない。結局、私たち自身の行動が、かつてのようなテレビの面白さを失わせている部分もあるのだ。
少子化の蟻地獄
少子化は社会全体の大きな課題となっている。将来の人口予測では、現状のままでは人口減少が避けられないとされているが、若者に対して闇雲に「子供を作れ」と促すのは非現実的である。そもそも子供を望まない人もいれば、望んでいても経済的な理由から諦めざるを得ない人も多い。最も大きな障壁は金銭面であり、自分たちの生活すら不安定な中で子供を育てるのは簡単なことではない。物価は上昇し続けているにもかかわらず、収入の伸びが追いついていないため、子供を持つ決断をするのは難しい。
政府は少子化対策として様々な政策を打ち出しているが、それが若者に十分伝わっていないのも問題である。自治体が実施する子育て支援も、手続きの煩雑さから利用されにくいのが現実だ。根本的な解決策としては、給料の引き上げなど、受け手が自ら行動を起こさなくても自動的に恩恵を受けられる仕組みが求められる。
また、選挙において若者の投票率が低いことも、少子化問題の解決を難しくしている。少子高齢化社会では高齢者の数が多く、多数決で物事が決まる社会においては、その数の多さが影響力を持つのは当然である。
罰せられない罪の辛さ
日本において、罪を償う方法としては、死刑、禁錮刑、罰金刑などが司法によって定められている。しかし、法で裁かれない罪に対して個人間で償いをする場合も存在する。例えば、不倫が発覚した際の夫婦間での償いや、子供を養子に出した親が抱える罪の意識がその一例である。このような償いは法的な罰則ではなく、あくまで個人の心の中で行われるものである。
罪の意識を持った人は、何らかの形で自分を責め続け、それを罪滅ぼしとして償おうとすることがある。しかし、これは自己満足に過ぎない場合も多い。罪滅ぼしの行為は、自分自身の心のバランスを保つための手段ともいえる。自らを支えるために行う懺悔は非常に辛く、終わりの見えない道のりとなる。法的な刑罰には期間が設けられており、その期間を全うすれば刑期は終了するが、自らが課す罪滅ぼしには終わりがない。
終わりのない懺悔は、人生の意味を見失わせる危険をはらんでいる。自分を責め続ける行為は、最終的に生きる希望を奪うことにもなりかねない。
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