【独自感想】『図書館のお夜食』原田 ひ香

小説

今回は小説『図書館のお夜食』原田 ひ香(著)のご紹介!
亡くなった作家の蔵書、つまり作家が所有していた書物を集めた図書館。読書好きの方ならご案内かと思いますが、本棚を見るとその人の性格がわかる、なんていいますよね。その人の本棚は読書家にとっての個人情報のようなもの。亡くなった作家の蔵書を集めた図書館は夜の7時から12時まで営業しています。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『図書館のお夜食』
著者:原田 ひ香
出版社:株式会社 ポプラ社
発売日:2023年6月
メモ:図書館の賄い飯として実在の本に登場する料理が登場

あらすじ

好きだけでは、乗り越えられない夜がある。
東北地方の書店に務めるものの、うまくいかず、仕事を辞めいようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、”本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして”実在する本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがーーーーーーー。

『図書館のお夜食』裏表紙より

読書感想

物語の世界から抜け出す

集中力が続かない私は、1日中読書をするよりも、電車移動の10分間やカフェでの20分間の方が集中できる。短時間に没入する「短期集中型」なのだろう。その短い時間では、文字を追う動作が自然に行われ、「読んでいる」という感覚すらなく、物語の世界にスッと入り込むことができる。しかし、没入できる時間はあまりにも短く、もっと読んでいたいと思うのは皮肉なものだ。

物語の世界に没頭した脳は、すぐに現実に戻ることは難しい。電車を降りて街中を歩いている間も、頭の中には物語の残響が残っている。ふわふわとした感覚で歩きながら、次第に現実世界の音や景色に意識が戻ってくる。やがて、自分がただのアスファルトの上を歩いていることに気づき、物語に浸っていた自分が少し恥ずかしくも感じられる。

物語はあくまで架空の世界である。しかし、その架空の世界だからこそ、私たちをどこまでも連れて行ってくれる。

本の素晴らしさがゆえに

本の素晴らしさは、世界的・歴史的に名高い作品でも、誰もが手軽に手に取ることができる点にある。しかも、それは子供のお小遣い程度の価格で購入できる。一方、美術作品ではそうはいかない。絵画は多くの場合、美術館に足を運ばないと見ることができず、それが日本国内で展示される機会は稀である。

また、その作品を所有するには莫大な費用が必要である。その点、書籍はデジタル化が進み、電子書籍として手軽にデータで所有することも可能だ。内容の差異もなく、有名な作家の作品をどの媒体でも堪能できる。しかし、デジタル化が進むことで、紙ベースの書籍の売り上げは下降し、書店の閉店が相次ぐという課題が生じている。書籍を紙で読む体験の良さは多くの読書家に認識されており、紙の本が消滅することはないだろう。

しかし、書店という「発見の場」の衰退は避けられないかもしれない。書店は、目的を持たずふらりと立ち寄ることで、新たな発見や知的好奇心を刺激する場である。そのような場の喪失は、人々の知的な探求心を阻害し、読書を通じたさらなる発見の機会を奪うことになりかねない。

褒められすぎると不安になる

人には褒められて伸びる人と、叱られて伸びる人がいると言われる。しかし、実際には褒められて成長する人の方が多いだろう。また、叱られながらも成長する人は、褒められても同様に成長する傾向にある。問題は、どちらでもなく、褒められもせず、叱られもせずに成長が停滞する人である。

このような人は自分に甘く、考えた上での行動を取っていないために、周囲からの評価を得ることが難しいのだ。褒められたり叱られたりすることは、自分が考え行動した結果を他者に認めてもらうことであり、それ自体が喜ばしいことである。しかし、褒められることにも注意が必要だ。過度な賞賛や内容の伴わない賞賛は、かえって自分の方向性に対する不安を生む要因になりうる。

自分が納得していない成果に対して大げさに褒められると、世間とのズレを感じることがあるからだ。また、褒め言葉を受けすぎることで、本来知りたくない情報まで知ってしまい、それがストレスに変わることもある。他者からの評価は主観に左右されるものであり、自分自身の将来の方向性は、自分の心にしっかりと持っているべきである。そうすることで、過度な賞賛に惑わされることなく、ぶれない軸を持ち続けることができる。


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