『海が見える家』はらだ みずき

小説

どうも、こんにちは。
今回は小説『海が見える家』はらだ みずき著のご紹介です!

この作品は、表紙の色鮮やかなデザインがとても目を惹きます。
千葉県の南房総、館山を舞台とした作品みたいです。

この本を購入したときの記事も公開中です▼

書籍の情報を以下にまとめます▼

タイトル:『海が見える家』
著者:はらだ みずき
出版社:小学館文庫
出版日:2017年8月13日(初版第1刷発行)
メモ:海が見える家シリーズ第一弾作品

あらすじ

入社一ヶ月で会社を辞めた直後、田舎暮らしをしていた父の死を知らされた。電話は知らない男からだった。孤独死したのか。文哉が霊安室で対面した父は、なぜか記憶とはまるで違う風貌をしていた。家族に遺されたのは、丘の上にある、海が見える家。文哉は早々にその家を処分するため、遺品整理をはじめる。そして、疎遠にしていた父の足跡をたどると、意外にな事実を突きつけられていくのだった。
夏、豊かな自然が残る南房総の海辺の暮らしを通して、文哉はもう一度自分の人生を見つめる時間を過ごす。「幸せとは何か」を静かに問いかける、著者、新境地の感動作。

『海の見える家』裏表紙より

読書感想

不幸×不幸

主要人物の文哉は入社した会社をたったの1ヶ月で退職してしまう。
一般的に考えれば、入社して1ヶ月ではいいも悪いもまだわからない時期だ。
そんな時期にやめてしまうのだから仕事内容に愛想を尽かしてしまったのであろう。

転職が当たり前となった現代では、「新入社員として入った企業は最低でも3年は勤める」
と言った言葉はもうあまり聞かなくなったであろうか。
それにしたって入社して1ヶ月は早すぎである。

これからの人生を考えても先を見通すことができない。

そんな時に父親の死が訪れた。

死はいつだって突然である。
こちらの状況なんて考えてはくれない。
文哉は言ってみれば、人生のどん底を堪能している最中であった。

どん底よりもどん底はないようで、仕事を辞めたことによるあまりに余った時間を
父親の死に関する諸々に使うことができた。

立て続けに起きた不幸は、そこから立て直す兆しだったのかもしれない。

都会の時間と田舎の時間

文哉は東京に住んでいた。
疎遠となっていた父親は千葉県の南房総に住んでいたみたいだ。

南房総の父の家を訪ねると、近くには海があり漁船も見える。
同じ地球なのにどこか時の流れがゆっくりと感じる。

東京に住んでいた文哉は、父親が亡くなる直前に仕事を辞めた。
勤めていた時は夜遅くまで残業があり、忙しさのあまり時の流れに気がいっていなかった。
ある意味、時間の経過を忘れるくらい仕事に没頭していたということか。

24時間という限られた時間をどう使うかはその人に委ねられている。
しかし、日本の大半の人が仕事という時間に多く占められている。
だからこそ人は仕事にやりがいや充実感を求めてしまうのだろう。

24時間の大半が仕事に費やされるのだから。
仕事が充実していないイコール人生が充実していない。
このような考えは最近になって出てきたもののように感じる。

父親が残してくれたもの

突然亡くなった父親は文哉に(正確にいうと長女にも)南房総の自宅を残した。
それと一緒にさまざまな疑問も残した。

一体父はこの土地でどんな生活をしていたのだろう?
文哉は父親の遺品整理をしていく中でその事実を知ることになる。

父親のことを知る地元の人たちから生前の父親のことを教えてもらう。
文哉のイメージしていた父親とはかけ離れた父がそこにはいたらしい。

死人に口なしという言葉はあるが、父親本人に聞くよりも地元の人からの情報の方が正確かつ詳細だったのかもしれない。

まとめ

今回は、小説『海が見える家』はらだ みずき著のご紹介でした。
表紙にあるような海が見える家に住んでみたいと思っている人も多いのではないでしょうか?

都会とは違い、不便なことも多い環境でもゆっくりとした時間を過ごせるところはとても魅力的です。
文哉の父親も最期の住処としてこの地を選んだのかもしれません。

物語は、突然亡くなった父親の遺品整理をすることになった文哉が地元の人と関わっていく中で
父親の最期の生活ぶりを知っていくことななります。
父親とは長年疎遠になっていましたが、人生の岐路に立たされた文哉にとっては心にくる事実でした。

自分の将来に不安を抱いている人も、この作品を読むことによって自分なりの生き方に前向きになれるかもしれません。

Amazonからの購入はこちら▼

コメント