【独自感想】『美しき凶器』東野 圭吾

小説

今回は小説『美しき凶器』東野 圭吾(著)のご紹介!タイトルに惹かれて購入しました。作品自体は1997年に初版発行されているみたいですが、今回書店で初めて目にしました。

タイトルから加害者側にスポットを当てたストーリーなのかと予想をしていました。今までにあまり読んだことのない系統なので、ストーリー展開が非常に楽しみでした。

書籍の情報を以下にまとめます▼

INFO
タイトル:『美しき凶器』
著者:東野 圭吾
出版社:株式会社 光文社
発売日:1997年3月20日(初版1刷発行)
メモ:新装版の2刷として発行

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あらすじ

かつて世界的に活躍した男女四人のスポーツ選手が、ある男を殺した。男は彼らの消し去らねばならない過去を知る唯一の人物だった。足のつかない犯罪を実行したはずの彼ら。しかし一人、また一人と何者かに襲われていく!迫りくるその姿は、さながら”毒蜘蛛”のようでーーーーー!得体の知れない何かに追い詰められる恐怖を鮮烈に描いた傑作サスペンス!

『美しき凶器』裏表紙より

読書感想

連帯責任の謎

他国のことはよくわからないが、日本で生まれ今に至るまでの間に、連帯責任という言葉に触れた人は多いと思う。中には連帯責任の渦中の人も多いのではないか。特にスポーツを経験した人は連帯責任を経験したことだろう。

そもそも連帯責任とはどういったあらましを経て作られた制度なのだろうか。誰かがミスを犯した、過ちを犯した際に、特に関係のない人も責任を取らなければいけない。責任の取り方はさまざまあるが、例えば腕立て伏せ100回とか、校庭を10周とか。。。。

その目的はチームや集まりの「連帯感」を高めるためであろう。しかし、「連帯責任」という言葉を聞くと、すでに連帯感を持ち合わせている関係でないと成立しないように感じる。

”あいつのために俺も責任を取る”これが真の連帯責任であって、こないだ会ったばかりの人のミスに対して”連帯責任だ”と言われても溝が深まるばかりだ。

学生時代から長年付き合いのある友人との関係を振り返ってみても、あの時の連帯責任を通して仲を深めていったという記憶は一つもない。ましてや、数は少ないだろうが、自分が過去に体験した連帯責任に関するエピソードも思い出すことができない。

意見対立の攻略方法

他人との関わりを持って生きるこの世界ではしばしば意見の食い違いや、好き嫌いによっていざこざが起こる。話し合いによってその問題が解決すればいいのだが、大抵ヒートアップしている両者は自分の考えを正しいと思い込んでいることが多く、相手の意見に納得することはない。

論理的かつ現実的な話をしたとしても相手が感情思考メインの持ち主の場合、ロジカルシンキングは逆に通用しない。その場合、黙って自分の負けを示すのか、時間に解決を託すのかちょうどいい着地ポイントを見つけるのも難しい。

さらに、もっともらしい意見を述べると、自分だけを正当化しているようにみられることもある。正しいと思うことを主張しているのだから、別に正当化しているようにみられても問題はないのだが、話し合いの場においてはマイナスに働くことが多い。

では、意見の対立があった場合の話し合いにおいて、どう立ち回るのがいいのか。攻略の一つとして、相手の意見を100聞き出して、自分の意見を10に留めること。そして、話し合いの期間を2日以上設けることだ。

まず、相手の意見を100聞き出すことについて。これは相手の思っていることを全て吐き出してもらうことによって、感情的なストレスを取り除く効果がある。相手の意見に耳を傾けず、自分の意見を話してしまうと、いくら正当な意見であっても受け入れてもらうことができない。

そして、話し合いの期間を2日以上設けること。これは次の日になっていれば相手の感情も変わってくる。ましてや、1日目に自分の意見を全て言えたことによる充実感があるため、相手を受け入れる体制も整っている。冷静さを取り戻した相手に対して、自分の意見を言うとすんなり理解してもらえたりする。

やり直しが効かない国、日本

「失敗と書いて成長と読む」と言う言葉がある。これは私の好きな言葉の一つだ。元プロ野球選手であり、日本の名将、野村 克也さんの言葉だ。

何かを成し遂げるためには失敗はつきものであり、多くの失敗を経験することで大きく成長ができる。この言葉は、私も含め、多くの挑戦者の心の支えとなっている。

しかし、成功を収めた人に対しての失敗は意味合いが変わってくる。特に日本という国においては、地位や名誉のある人の失敗に厳しいところがあり、やり直しは困難だ。

芸能人など、一般に顔が知られている人が不祥事を起こした時、テレビや週刊誌などのメディアを騒がせることがある。そしてインターネットを通して不特定多数の意見で溢れかえる。十数年前に比べ、不祥事を起こした人のダメージは格段に上がっていることだろう。

とはいえ、何かしらの労働、ビジネスをして利益を得なければ生きていけなくなってしまう。どん底に落ちたところから再び這い上がるのは並大抵のパワーがないと実現ができない。

テレビっ子でもある私にとって、好きだった芸能人や番組が見られなくなってしまうことは悲しい。だからこそ、復帰を果たし、メディアに登場する姿を見ると嬉しくなる。そんなときはカムバック賞を与えよう。

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